内容説明
文学青年和辻はなぜ哲学の道を選ぶに到ったか。すなわち「人はその在るところのものにいかにして成るか」(ニーチェ)を、和辻の前半生の軌跡を通じて明らかにすることが本書の目的である。第2次『新思潮』以来生涯にわたっての友人であり、よき競争相手であった谷崎潤一郎は初めから終りまで小説家として一貫したが、和辻は劇作家、小説家を志しながら、哲学者へと転向したのだった。そのドラマを追い、明治・大正の青春を描く。
目次
序章 和辻と谷崎の出会い
第1章 第2次『新思潮』同人
第2章 「大正・昭和の文化人」論争
第3章 自由劇場のころ
第4章 谷崎の文壇的成功
第5章 鵠沼と三渓園
第6章 蕩児帰る
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
うえ
6
「大正三年九月の中央公論に発表された「饒太郎」は、さきに和辻が読んでいたオスカア・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』の原書を、谷崎も借りて読み、かの小説をモデルとして書いたといわれる…それが面白いことに、哲学とか思想に対する反撥を露わにしている」「和辻の『キエルケゴオル』が出た直後、大正四年の暮に書き上げて、翌年一月号の中央公論に発表した谷崎の「神童」こそは…学問・知識の無力なこと、感性的・愛欲的なものの優位を再確認した点で和辻の『ゼエレン・キエルケゴオル』に対抗する谷崎のマニフェストであった」2016/01/16