内容説明
権謀術数の代名詞とされる男、マキアヴェッリ。しかし彼は、それほど単純な言葉でくくられる人物ではなかった。―フィレンツェ共和国の外交書記官として当時の権力者たちと渡り合い、権力の本質とは何かを体得し、近代政治学の先駆とされる『君主論』を著す。その冷酷無比なるイメージとはかけ離れた、イタリア・ルネサンスの終焉を真摯に見つめ続けた人間味溢るる実像を、愛情をもって克明に描き出した、塩野ルネサンス文学の集大成ともいえる大作。
目次
サンタンドレアの山荘・五百年後
第1部 マキアヴェッリは、なにを見たか(眼をあけて生まれてきた男;メディチ家のロレンツォ;パッツィ家の陰謀;花の都フィレンツェ;修道士サヴォナローラ)
第2部 マキアヴェッリは、なにをしたか(ノンキャリア官僚初登庁の日(一四九八)
「イタリアの女傑」(一四九八‐一四九九)
西暦一五〇〇年の働きバチ(一四九九‐一五〇二)
チェザーレ・ボルジア(一五〇二‐一五〇三)
マキアヴェッリの妻(一五〇二‐一五〇三)
“わが生涯の最良の日”(一五〇三‐一五〇六)
“補佐官”マキアヴェッリ(一五〇七‐一五一二)
一五一二年・夏)
第3部 マキアヴェッリは、なにを考えたか(『君主論』誕生(一五一三‐一五一五)
若き弟子たち(一五一六‐一五二二)
「歴史家、喜劇作家、悲劇作家」(一五一八‐一五二五)
「わが友」グイッチャルディーニ(一五二一‐一五二五)
「わが魂よりも、わが祖国を愛す」(一五二五‐一五二六)
ルネサンスの終焉(一五二七))
メイキング『わが友マキアヴェッリ―フィレンツェ存亡』
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
優希
90
時折読み返したくなる名著です。マキアヴェッリというと『君主論』の作者であり、冷徹さをイメージさせますが、見事にその見方を覆されます。ルネサンス終焉期のフィレンツェを背景に等身大のマキアヴェッリが描かれていました。「わが友」というだけあり、愛嬌と人間味が感じられます。「マキアヴェリズム」が忌まわしさとして一人歩きしていますが、実は現代の政治や外交の原点になっているのですね。マキアヴェッツリはその後のイタリアにおける様々な可能性を打ち出していく。その手腕を見ていると歴史の面白さを感じます。2016/04/29
k5
61
いくらなんでもマキャベリ好きすぎでしょう、塩野さん、というのが正直な感想。脳のかびを取る、という手紙は確かに文学的で鮮烈だけれども、このボリュームで描くネタとしては少々、地味な感があります。こうしてみると、マキャベリの現役時代ってメディチとメディチの端境期なのだとよく分かりました。しのご言う前にマキャベリ読みます。すみません。2021/07/05
カザリ
48
塩野のマキャベリ、読み終わりましたw名前だけ知っている人のオンパレでしたが、この本を読んでメディチ家やチェーザレ・ボルジアのこと、さらに知りたくなりました。。というか、君主論を体現している人がチェーザレだった以上、この人の本も読む流れに。。( ゚Д゚)2015/09/22
masabi
27
マキャヴェリの生涯をメディチ家の隆盛からフィレンツェの滅亡まで併せて描く。この本を読むとマキャヴェリのイメージが変わる。マキャヴェリズムの通り冷酷な人物と思っていたが、随分と愉快な人物だったようだ。歴史に必然というものは少なく、多くは偶然でそのなかには外交や軍事の面で機を逸したことが原因でもある。次は『政略論』やフィレンツェの対極をなしたヴェネチアについて書かれたものを読みたい。史実と物語の両方を、である。2016/08/11
ぐっちー
27
再読。塩野さんの著作の中では特に好きな作品。『君主論』のマキアヴェッリといえば、権謀術数推しの冷徹漢なイメージですが、実は我が友と言いたくなる愛嬌ある人間マキアヴェッリの物語です。豪華王と言われたロレンツォ亡き後、落日のフィレンツェを何とか守ろうとしたノンキャリ官僚の哀愁。仕事に打ち込みすぎで同僚から好かれるけど家族からは愛想を尽かされ、挙句リストラされるおじさん。2016/01/12