出版社内容情報
世阿弥の巧妙な「仕掛け」とは何か? 偉人に「必要とされた」理由は? 能をわし?みにする入門書。
内容説明
なぜ六五〇年も続いたのか―。足利義満、信長、秀吉、家康、歴代将軍、さらに、芭蕉に漱石までもが謡い、愛した能。世阿弥による「愛される」ための仕掛けの数々や、歴史上の偉人たちに「必要とされてきた」理由を、現役の能楽師が縦横に語る。「観るとすぐに眠くなる」という人にも、その凄さ、効能、存在意義が見えてくる一冊。
目次
第1章 能はこうして生き残った
第2章 能はこんなに変わってきた
第3章 能はこんなふうに愛された
第4章 能にはこんな仕掛けが隠されていた
第5章 世阿弥はこんなにすごかった
第6章 能は漱石と芭蕉をこんなに変えた
第7章 能は妄想力をつくってきた
第8章 能を知るとこんなにいいことがある
著者等紹介
安田登[ヤスダノボル]
1956(昭和31)年千葉県銚子生まれ。下掛宝生流能楽師。能のメソッドを使った作品の創作、演出、出演も行う。また、日本と中国の古典に描かれた“身体性”を読み直す試みも長年継続している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
あっきー
13
✴3 能を見ると脳に内蔵されている 脳内AR(拡張現実)が活性化して、見えないものが見え聞こえないものが聞こえるそうだ、松尾芭蕉、夏目漱石は能とのつながりが深いという章が面白く、おくのほそ道、草枕を読みたくなった、昔は寺子屋でも 謡は基本教科で習っていたし、大工も魚屋も結婚式でも謡が謡われていたらしくちょっと興味がでてきた、能についてこれまでにない見方ができる刺激的な本だ2017/10/28
みのくま
11
本書を読むともっと能について知りたくなる。新書なのでどうしても入門書の入門書みたいになっていて物足りないが、能に対する興味は持続しているので著者の術中にはハマったのだろう。特に世阿弥と松尾芭蕉についての考察は面白かった。権力に恭順を示す行為としての芸能を逆転させた世阿弥は、鈴木忠志の用語を使えば「芸能から芸術」へ昇華させたという事だろう。また、源義経の鎮魂(=幕府への恭順)を目的に東北を旅した松尾芭蕉も、その秘中には既存の俳諧界からの独立があった。芭蕉は「ワキ方」として幽玄を召喚し俳句を芸術に高めていく。2019/11/17
えいこ
10
能に少し興味を持った人に、全般的な手ほどきをしてくれる本。安田登さんの解説は、専門的すぎず読みやすい。昔はもっと速いテンポで演じられてたとか、犬王の話はまんざら誇張でもないのか。歴史的な成り立ちや、文学との意外な関わりに驚く。奇しくも、芭蕉の「奥の細道」についてアンテナが向いていたところ。紀行文ではなくフィクションであることは知っていたが、夢幻能としての解釈は新鮮。2022/12/25
nishiyan
10
現役の下掛宝生流の能楽師である著者による「能」の入門書。近年、観世宗家を筆頭に能楽師による著作が多い中、コンパクトでわかりやすく書いてある入門書だといえる。いわゆる入門書とは違い、能そのものへの概要や舞台の構造などを述べた後に謡曲の解説が続くというものではなく、豊臣秀吉、松尾芭蕉、夏目漱石といった一般の方にも馴染みのある歴史上の人物との関わりを記すなど、かなり取っつきやすく作られている。最後の付録がさらに能への誘いとなっているのも良い。新潮新書には珍しい良書ですね。2017/10/30
makio37
9
能など自分の人生には関係ないものと思っていたので、大げさに言えば読んだ分だけ世界が広がった。まず世阿弥の言う「初心」の意味を理解して使っていなかったことを知った。シテ・ワキなどの用語や舞台について、大まかな能の歴史などを知れたのも良かった。特に「太鼓」を奇数拍「小鼓」を偶数拍として、天候や時間に合わせて場の空気を調節する仕掛けには唸らされた。「能(および能舞台)は、見ているお客さんが脳内ARを発動するための装置」とすれば、現代技術ともつながってくる。読めば謡のひとつも習いたくなる。2017/10/15