内容説明
1942年6月、戦時下のNYと横浜から、「日米交換船」が出航。若きハーヴァード大生だった鶴見俊輔が初めて明かす、開戦前後と航海の日々。日米史の空白を埋める証言と論考。
目次
国と国のあいだで―まえがきにかえて
鼎談 日米交換船の人びと(鶴見俊輔・加藤典洋・黒川創)
交換船の記録―五つの大陸をわたって
この人の横顔
三つの会見記―松村たね、武田清子、鶴見和子に聞く
封印された記憶―あとがきにかえて
著者等紹介
鶴見俊輔[ツルミシュンスケ]
1922年、東京生まれ。哲学者。ハーヴァード大学卒業。十代で渡米。42年、日米交換船で帰国。46年、丸山真男らと「思想の科学」創刊、アメリカ哲学の紹介や大衆文化研究を行なう。『戦時期日本の精神史』(大仏次郎賞)、『夢野久作』(日本推理作家協会賞)ほか。94年度朝日賞受賞
加藤典洋[カトウノリヒロ]
1948年、山形県生まれ。文芸評論家。東京大学文学部卒業。早稲田大学国際教養学部教授。著書に『言語表現法講義』(新潮学芸賞)、『敗戦後論』(伊藤整賞)、『日本の無思想』、『テクストから遠く離れて』(桑原武夫学芸賞)ほか
黒川創[クロカワソウ]
1961年、京都生まれ。作家。同志社大学文学部卒業(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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柔
18
まず日米交換船について全く無知であった。戦時中に行われた事実としてもっと注目されるべきものなのではないかと感じた。日米合わせて約6000名が、2度の交換船に置いて母国に戻ったこと。米船は全員同じ飯。日船では階級でグレードあり。その違いも面白い。日本へ帰ったら生きられないと帰国を拒否したり、シンガポールやフィリピンで下船した人、戦後になって日本に戻ったり逆に交換船で日本に帰国し、戦後再び米国に戻った者もいたという。まさに人生十人十色であったんだな。2021/06/09
月をみるもの
16
自分も鶴見俊輔がきっかけで日米交換船に興味を持ったわけだが、序文の加藤典洋の言葉がすべてを言い尽くしている。 "自分の生まれた土地の中に生き死にする人 - 柳田国男が常民と呼んだ人々ーの経験と同様に、「国と国のあいだ」に生きた人々の経験もまた、そのように、人に知られないまま消えるものとして、私たちをとらえ、私たちを、深く動かすのではないか。もしこの船が途中で沈んで、(鶴見のような)一群の知識人が帰国することがなかったら、日本の戦後はどうなっていただろうか、という問いは後景に退いていった” →2021/12/31
i-miya
10
松平一郎の乗船について 松平恒雄(宮内大臣)の息子 松平恒雄の娘 =勢津子妃 (秩父宮殿下) 松平恒雄は容保の息子 中井正一(美学者)を国会図書館長にしようとしていた アカだとの理由で猛反発 副館長で手を打つ2006/06/22
ゆうこ
6
戦前にもこのように志高く米国に渡って勉学に励んでいた人たちが多くいたことにまず驚き、帰国させるためにアフリカで乗客を入れ替えるというなかなかのビッグプロジェクトが行われていたということにも驚いた。乗っていた一人ひとりにそれぞれの物語があるのだろう。記憶を記録をたよりによくここまでまとめることができたと思う。労作です。2020/11/15
ポテンヒット
5
日米開戦後、在米日本人と在日外国人を帰国させる為に出航した日米交換船。開戦後、FBIが来てホテルに軟禁されたり、収容所に入れられたりして戦争の緊迫感が伝わる。外交官や学者、女優に学生など様々な人が乗船し、終戦後の生き方も描かれていて興味深い。2021/08/10