内容説明
ギリシアから視察団が戻り、前449年、共和政ローマは初の成文法を発表。しかしその内容は平民の望むものとは程遠く、貴族対平民の対立の構図は解消されなかった。近隣諸族との戦闘もさらに続き、前390年夏にはケルト族が来襲、ローマで残虐のかぎりをつくす。建国以来初めての屈辱だった。ローマはいかにしてこのどん底から這い上がり、イタリア半島統一を成し遂げるのか。
目次
第2章 共和政ローマ(承前)(ペリクレス時代;ギリシアを知って後;ローマの貴族;ケルト族来襲;ギリシアの衰退;立ちあがるローマ;政治改革;ローマの政体;「政治建築の傑作」;「ローマ連合」 ほか)
ひとまずの結び
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感想・レビュー
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ehirano1
187
ローマの政治体制(≒執政システム)が分かり易く記述されていたのでよく理解できました。北から南からと常に危機に曝されるローマですが、一人のカリスマに頼るのではなく、政治システムを以って各々が貢献していく体質こそが危機を乗り越え拡大繁栄し、その繁栄が継続する(←ここがポイント)要因ではないかということが印象に残りました(もちろんこれだけでは不足なのですが・・・)。この時代のローマ人は常に努力したのですね。尚、「ひとまずの結び」は超秀逸でした。2016/10/15
ヴェネツィア
180
再読。著者が「ひとまずの結び」に、現代の研究書よりも原史料のローマ観の方が自分にはよりしっくりくると述べている。そして、その理由の第1は、ローマの興隆の原因を精神的なものに求めず、当事者たちがつくりあげたシステムにこそその要因があったとしている。ケルト族の来襲によって、ローマはあわや壊滅寸前にまで追い込まれ、またハンニバルにアレキサンダーに次ぐ名将と言わしめたエピロスの王ピュロスをも退け得たのは、ローマ人の資質と共に、たしかにそれを十全に発揮するシステムなくしてはあり得なかったのかもしれない。2012/08/02
レアル
133
「ローマは一日にして成らず」上下巻で500年を一気に辿った。ケルト族襲来等、「負け戦」で学んだもの、法整備、そしてローマ人とギリシャ人の気質の違い、必然と偶然、いろんなものが重なり合って徐々に国らしくなっていくローマ。「敗北を喫してもその害を最小限にとどめる才能と、勝てば勝ったで、その勝利を最大限に活用する才能」がローマ人にはあるらしい。。2013/09/11
優希
107
ギリシアから視察団が戻り、共和政の道を歩き始めたローマ。初の成文法が発布されるも、平民と貴族の間の対立がおさまらなかったのは、いかに望むものと遠かったか明らかです。近隣諸国との戦闘、ケルト族の来襲と、ローマは残虐の道を進むしかなかったのかもしれません。それでもイタリア統一を目指すローマ。いかに成し遂げられていくか、まだまだ先は長いです。まぁまだここから始まったという出発点ですからね。2017/08/22
ntahima
88
真に小さな国が開化期を迎えようとしている。伊太利亜は羅馬に三人の男が居た。この古い都市に生れたブルータスは王政を打倒し以後五百年続く共和政羅馬の創始者となった。ロムロスに続く第二の建国者と言われたカミルスは羅馬を蹂躙したケルト来襲から市民を精神的に立ち直らせた。もう一人は五度に渡り執政官を務め、羅馬の半島中西部制覇に功があったファビウスである。彼等は質実剛健な羅馬人の気質で前をのみ見つめながら歩く。羅馬の七つ丘の上の青い天に、もし一朶の白い雲が輝いているとすれば、それのみを見つめて坂を登って行くであろう。2012/07/21