出版社内容情報
恋愛事件のために家を出奔した主人公は、周旋屋に誘われるまま坑夫になる決心をし、赤毛布や小僧の飛び入りする奇妙な道中を続けた末銅山に辿り着く。飯場にひとり放り出された彼は異様な風体の坑夫たちに嚇かされたり嘲弄されたりしながらも、地獄の坑内深く降りて行く……漱石の許を訪れた未知の青年の告白をもとに、小説らしい構成を意識的に排して描いたルポルタージュ的異色作。
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
478
漱石の比較的初期の長編(『虞美人草』よりは後、『三四郎』よりは前)。漱石の作品系列の中でも、やや特異な作品。小説は全体にわたって(とりわけ坑道に入ってからは)極めてリアルな筆致で語られる。ただ、臨場感を求めるのなら現在時で語られそうなものだが、語りの時間軸はずっと後年になっての回想である(この辺りは後の『こころ』に似ている)。度々内省的な言辞がなされるのはそのためである。この小説は漱石にとって、あるいは読者たる私たちにとっても、ありそうもないがあり得たかもしれない、もう一つの人生の提示なのだろうか。2019/04/12
新地学@児童書病発動中
139
漱石の隠れた傑作。プロットはやや単調だが、文章に勢いがある。この点は『坊っちゃん』と似ている。当時の話し言葉をそのまま文章化したようなこの文体は、読んでいて心地良かった。古めかしいが気取りもなくて、率直で分かりやすい文章だと思う。主人公が炭鉱の中で生きなければと自分に言い聞かせるところは、胸に迫るものがあった。恋愛のもつれで家を出て、追い詰められた主人公が再び前を向いて歩きだそうとするのだ。面白くなそうだと思い、これまで敬遠していたのは失敗だった。漱石の良さが出た素晴らしい作品。2017/01/31
のっち♬
134
恋愛が原因で実家から出奔し、坑夫になろうとする青年。実際の見聞を元に潤色を排したルポ形式は、表面的で虚構性の強い『虞美人草』とアプローチを反転させることで無意識の深層を追求させ、結果的に《道義》を語るには余りに無性格な人間の実態を露わにした。坊ちゃんが対峙した奈落の底での生と死、メタファーとして豊潤な含蓄を持つ「深いと思えば際限もなく深い」銅山は格好のガジェットであった。価値観を相対化させる主客の交錯した語り構造も以降の柔軟な深化の重要な原動力になっていそうだ。宿命的な通過儀礼とも言える反小説的な実験作。2022/11/06
優希
131
一言で言えば恋愛事件の為に家を飛び出した青年が、ある銅山で働くようになるという物語です。極めてシンプルな内容と言ってしまえばそこまでですが、心理描写が素晴らしく、主人公の想いを追っていくだけでも面白くて惹き込まれます。漱石の作品としてはルポタージュ的なので異質と言えますが、読みやすく、裏名作と言ってもいいと思います。青年の矛盾する心理が丁寧に描かれているだけでなく、情景描写も惹き込むものがありました。2015/09/22
やいっち
107
本作品の舞台は、足尾銅山。作品が新聞に連載され始めた明治41年までには既にあからさまではないものの、足尾銅山鉱毒事件(この呼称も後世)が報じられつつあった。が、銅山の元坑夫の話を土台にした作品で、あくまで若き世をすねた語り手の内心の吐露であり、主観的なドキュメントの体裁を崩さない。事件を匂わす語りは全くない。世間知らずの坊ちゃんが言葉巧みに誘われるがままに、思いがけず鉱山へ。2020/05/02