内容説明
初めてプリンストンを訪れたのは一九八四年の夏だった。F・スコット・フィッツジェラルドの母校を見ておきたかったからだが、その七年後、今度は大学に滞在することになった。二編の長編小説を書きあげることになったアメリカでの生活を、二年にわたり日本の読者に送り続けた十六通のプリンストン便り。
目次
梅干し弁当持ち込み禁止
大学村スノビズムの興亡
アメリカ版・団塊の世代
アメリカで走ること、日本で走ること
スティーヴン・キングと郊外の悪夢
誰がジャズを殺したか
バークレーからの帰り道
黄金分割とトヨタ・カローラ
元気な女の人たちについての考察
やがて哀しき外国語〔ほか〕
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ミカママ
234
再読。春樹さまがアメリカ暮らしをしたのは、90年代前半。その間にはもちろん、9・11があったり、オバマが大統領になったり、非白人がマジョリティになったり、とかはあったわけだけど、大まかな部分(特にサバービアでの暮らし)は変わってないんじゃないかな。コレクトであるべき会話、生活、あるある、とうなづきながら。当時春樹さま、うちの息子の大学で講演したらしいけど、シアトルにあるのはワシントン「州立」大ではなく、ワシントン大の間違いです。紛らわしいんだよね( ̄^ ̄)ゞ2016/05/29
おしゃべりメガネ
160
社会人になったトキに読んで以来なので、25年ぶりの再読でした。当たり前ですが日本であれ、海外であれさすがに4分の1世紀も経てば、世の中は大きく変わってますよね。作者さんが海外に住んでる一時期のコトを綴ったエッセイですが、当然スマホはおろか携帯電話も出てこないし、ウィンドウズ95も出てきません。しかししっかり?とマックのコンピューターは登場してきました。おそるべき、マック。海外でとは思いませんが、こんな風に好きなトキに好きなトコで好きなコトをやって暮らしていける自由なライフスタイルに心底憧れてしまいますね。2018/04/19
ヴェネツィア
152
本書は、著者の1991年からの1年半にわたる「プリンストン便り」といった内容。全体に統一感もあるし、なによりも村上春樹の物書きとしての特徴をよく伝えていると思う。すなわち、彼はあくまでも抽象的に思索する作家ではなく、身体を動かすことで具象的に考えるタイプの作家だということだ。したがってそれは、こうしたエッセイにおいては、車を運転することや、床屋に行くといった、ごくごく日常的な行為の中に立ち現われてくることになる。そして、まさしくそれ故に村上春樹自身の体験的、個性的なアメリカが語られることになったのである。2012/11/20
ハイク
123
再読本 以前読んだ本で題名に馴染みがあったが、途中まで再読本であるとは気がつかなかった。読メを見て既読本であることが分かった。こんなにも忘れてしまったのかと思う。小説でなく随筆なので忘れるのだろう。著者の文章は読み易く又自分の感情を忠実に文章にしているとの印象である。読み進めて行くと日本と米国の感覚の違いを感じる。勿論米国は色々な人種がいるので、感情の多様性があるのは当然であるが、それだからこそ文化の違いを感じるのであろう。私も短期間であるが海外に住んだことがあり、たえず日本との違いを意識して生活した。 2017/03/13
優希
117
プリンストンに住んでいた2年半について紡がれていました。異国で暮らすことは異文化の中で暮らすことと同じことです。でも何処にいても村上さんは村上さんであることには変わりありませんでした。それは常に色々な体験をし、それを表現する魅力があるからだと思います。砕けたユーモアと少しのシリアスさが絶妙な味わいを感じさせるエッセイでした。2017/02/25