講談社学術文庫<br> 中世の非人と遊女

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講談社学術文庫
中世の非人と遊女

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  • サイズ 文庫判/ページ数 296p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784061596948
  • NDC分類 210.4
  • Cコード C0121

出版社内容情報

非人も清目を芸能とする職能民と指摘し、遊女、白拍手など遍歴し活躍した女性像を描いた網野史学の名著。非人は清めを、遊女は「好色」を芸能に
網野史学が説く職能民の多様な姿と生命力

非人や芸能民、商工民など多くの職能民が神人(じにん)、寄人(よりうど)等の称号を与えられ、天皇や神仏の直属民として特権を保証された中世。彼らの多くは関所料を免除されて遍歴し、生業を営んだ。各地を遊行し活動した遊女、白拍子の生命力あふれる実態も明らかにし、南北朝の動乱を境に非人や遊女がなぜ賤視されるに至ったかを解明する。網野史学「職人論」の代表作。

現代のわれわれが、職人の見事な腕前に「神技」を感ずるのと同様、このころの人々はそれ以上に、職能民の駆使する技術、その演ずる芸能、さらには呪術に、人ならぬものの力を見出し、職能民自身、自らの「芸能」の背後に神仏の力を感じとっていたに相違ない。それはまさしく、「聖」と「俗」との境界に働く力であり、自然の底知れぬ力を人間の社会に導き入れる懸け橋であった。――<本書「序章」より>

第1部 中世の「非人」
 第1章 中世身分制の一考察――中世前期の非人を中心に――
 第2章 古代・中世の悲田院をめぐって
 第3章 中世の「非人」をめぐる2、3の問題
 第4章 検非違使の所領
第2部 中世の女性と遊女
 第1章 中世の女性
 第2章 遊女と非人・河原者
 第3章 中世における女性の旅


網野 善彦[アミノ ヨシヒコ]
著・文・その他

内容説明

非人や芸能民、商工民など多くの職能民が神人、寄人等の称号を与えられ、天皇や神仏の直属民として特権を保証された中世。彼らの多くは関所料を免除されて遍歴し、生業を営んだ。各地を遊行し活動した遊女、白拍子の生命力あふれる実態も明らかにし、南北朝の動乱を境に非人や遊女がなぜ賎視されるに至ったかを解明する。網野史学「職人論」の代表作。

目次

第1部 中世の「非人」(中世身分制の一考察―中世前期の非人を中心に;古代・中世の悲田院をめぐって;中世の「非人」をめぐる二、三の問題;検非違使の所領)
第2部 中世の女性と遊女(中世の女性;遊女と非人・河原者;中世における女性の旅)

著者等紹介

網野善彦[アミノヨシヒコ]
1928年、山梨県生まれ。東京大学文学部卒業。日本常民文化研究所員、都立北園高校教諭、名古屋大学文学部助教授、神奈川大学短期大学部教授を歴任。2004年没
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

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きいち

32
久しぶりの網野善彦は「とはずがたり」二条の記述を見つけて。13世紀には庶民上層の女性まで識字が広がっていたこと、白拍子や巫女と重なりながらの商人、あるいは家長として女性が活躍していたこと、なるほど、二条が鎌倉、厳島への旅の途上で出会った遊女たちの教養、旅を支えたネットワーク、必ずしも彼女が特異な存在ではなかったことが良くわかる。ここからフロイスの驚きはすぐ。こちらをあるべき姿に設定したらいい。◆「犬神人」にせよ「清目」にせよ、考えてみたら網野の本でしか出会わない気もする…。14世紀の社会変動を改めて。2020/06/27

こぽぞう☆

20
論文集なので、結構手強い。第2章の女性についての論考の方が面白かったかな。中世前半までの非人、遊女の地位が天皇や神仏につながり地位が高かったというのは、こうは考えられないだろうか?そもそも農業の発展に伴って発生した国家というものが、余剰の物資を持つことによって、王権や農業以外の職を持つ人々を養った。それを考えれば、王権(とそれに深く連なる神仏、上流貴族)と非人、遊女が深く関わるのは当然、と。2016/08/28

ミエル

19
久しぶりにもののけ姫を見てタタラ場で再起した人生を送っていた非人や元遊女、癩病者達の来し方の補足で再読。それとは別で、昨今議論が盛んな「日本は主要国の中で女性の扱いが著しく劣る」と言うフェミニストの主張に疑問が…。少なくとも近世までの女性の立場は、性差を理解した上で男性に劣ることは無かった。むしろ、維新後の西洋化から男女間に序列化が始まった事がわかる。日本は、今さら他国文化に倣って見当違いな女性性の打ち出しをしなくて良い国なのでは?とかね。他国に寄せた論調よりも原点回帰の方が一般受けしそうだよ?と思う。2023/07/27

かふ

18
この本を読む前に、赤松啓介『差別の民俗学』を読んでいた。柳田国男の常民に対する非人の位置づけについて、網野善彦は元(中世頃)は、天皇の支配下にあって特権を保証された神人や検非違使として、穢よりも清(め)に従事する者だった。しかし武家社会の到来により、武士の統治の中で次第に役目が失われて穢の人になったという。それは、赤松啓介の「非常民」論と対立するものだ、以下https://note.com/aoyadokari/n/n0c4c55fa24532021/11/06

壱萬弐仟縁

14
1994年初出。薬園を持ち、諸国年料別貢雑薬の支給をうける施薬院の機能が病者の医療に重点があったが、悲田院は孤子・窮人の収養を主な業務としていた(72頁)。中世民衆には、大らか、たくましさ、若々しさが感じられるという(180頁)。現代日本人とは大違いだ。人口減・少子・高齢社会の為。博打と巫女は切り離しがたい関係(270頁)。福祉や、国民性や、地下経済のようなテーマに関心があった。2013/05/18

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