講談社学術文庫<br> テキストと実存―ランボー マラルメ サルトル 中原と小林

講談社学術文庫
テキストと実存―ランボー マラルメ サルトル 中原と小林

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  • サイズ 文庫判/ページ数 397p/高さ 15X11cm
  • 商品コード 9784061590410
  • NDC分類 950.4
  • Cコード C0198

内容説明

ランボー、マラルメ、ベルクソン、サルトルらの作品を読み解く著者の目差しは、時の敵対しあうかに見える作家・思想家のテキスト間に、主題体系の共有という思いがけない〈関係〉を見出す。それは現代思想の最も重要な「差異」の生産としての〈読むこと―書くこと〉の実践であり、「間テキスト性」から人間了解の深みへと斬りこむ身振りであった。猖獗する「様々な意匠」の祖述者の群れから一頭地を抜く独創的論考。

目次

1 ランボー
2 マラルメ
3 サルトル
4 中原中也と小林秀雄
5 翻訳における〈了解〉の問題

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

はゃゃ

0
実存の投企の軌跡としてのテキストを実践的に読むとき、読者は自身の実存を投企することを意味する。詩句は了解=消失の機制のもとで、それを目的として翻訳される。ランボオのテキストが人間的なのは、彼に生きられた時空と、読者自身の実存の一回性の関わりによって了解が成立したからであり、我々の眼前に開ける言語やテキスト・構造への知見が、ランボオのテキストを了解可能たらしめたのだ。世界を偶然性として生きたマラルメは、存在論的自由からの不安による《自己欺瞞》とその脱却というサルトル的構造のなかで、《純粋自我》へと闘った。2014/11/21

高円寺

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研究用。サルトルやベルクソンの翻訳で知られるほか、蓮實重彦などを育てた指導者としての側面もある。個人的には、本書所収の中原中也論と、社会学者作田啓一のルソー論との親近性(原初の、幼年期の、無垢、無償性、という問い)に驚く。彼らは、京一中(今の洛北高等学校)時代の同級生らしい。それが偶然か否かはさておき、平井氏は1980年代以降の日本的ポストモダン(消費社会?)=「ニッポンの思想」をリードした思想家たちの師匠であることもまた興味深い。スキゾキッズにはなり得ない子どもの可能性?2019/05/04

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