内容説明
敗戦までの40年、大陸との間を結ぶ動脈としてにぎわった関釜航路。多くの朝鮮人を運んだその連絡船は日本による朝鮮支配の象徴でもあった。
目次
関釜定期航路の開設
韓日併合で激増した乗客
密使たちは「関釜」で往来した
避難朝鮮人でごった返した下関
渡航阻止の強化の中で
出稼ぎから定住へ
関釜連絡船は地獄船
関釜連絡船の終焉
感想・レビュー
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印度 洋一郎
4
日韓併合直前から始まった、下関と釜山を繋ぐ定期航路に見る、朝鮮半島と日本の近代史。朝鮮半島の統治、大陸への侵攻、国策とリンクする形で発展し、日本人を乗せ、朝鮮人の乗せていた。勿論、比較的自由に移動出来た日本人に比べ、朝鮮人達は厳しい監視下ではあったが。内地で不足する労働力の補完として食い詰めた朝鮮の農民達が玄界灘を渡り、景気が悪くなれば日本人労働者の仕事を奪うと渡航が禁止される。そして、関東大震災の時には、内地での虐殺の報に親族を探す人々が殺到するも、日本政府は厳重に取り締まった。当時の新聞記事が生々しい2015/05/20