出版社内容情報
世界的にファシズムの台頭をみた一九三○年代.日中戦争へ突入したわが国の思想界は,急速に「日本主義」へと傾斜した.鋭い時代感覚と論理的一貫性をもって時代と妥協することのなかった著者は,こうした日本主義が,明治以来の自由主義の限界性にもとづくことを看破する.その透徹した批判は今日なお清新である. (解説 古在由重)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
壱萬弐仟縁
24
日本の民主主義は封建性に由来する官僚的・軍閥的・勢力との混淆・妥協によって、著しく歪められた民主主義(18頁)。 正しい民主主義は今も志向していきたい次第である。 復古主義(傍点)は、古代的範疇(傍点)を用いることによって、現代社会の現実の姿を歪曲して解釈して見せる手段(26頁)。 「常識なるものはいつも知識・学術・文化・等々以下のものであり、従って、不完全な未熟な知識・学術・文化・等々にしか過ぎぬ ということにならざるを得ない」(82頁)。常識を批判してこそ、学問なのだ。2014/03/10
CCC
5
政治的、経済的自由を置き去りにした文学的自由主義について。文献学主義批判。西洋等のカウンターでしかない日本主義の空疎さ。西田哲学の身も蓋もない解釈等など。節々に良くある言説、見解への牽制、先回りがある。現代のそれも先回りされている。2018/05/05
てれまこし
4
戸坂はドイツ観念論・理想主義と反動との内的関係を見抜いていた。彼が批判する文学的自由主義とは、観念論の影響を受けた自由主義である。だから、ナショナリズム批判という側面だけを見て喜んでると、水と一緒に赤子を流してしまいかねない。弁証法的唯物論は観念論的形而上学とも機械論的自然主義とも違う第三の道を示したが、以前の世界観の問題も別の形で持ち込まれている(例:主体性の問題)。ここでまた唯物論か否かという踏み絵を迫ることは、戸坂自身を含む文系知識人にとっての自殺行為にもなりかねない。観念論-ファシズム関係は要検討2019/01/29
Was
3
日本のマルクス主義批評家によるナショナリズム、リベラリズム批判。1930年代に書かれたことは注目するべきであり、単なるマルクス主義受容や資本主義に対する反動という見方に収まらない強度を持っている。しかし、サラリーマン(会社員)の考察については同時代のマルキシストでもある青野季吉の論の方に一日の長があったのかもしれない。補論の大衆論と結びついていれば、あるいは…。2013/07/26
しかいう
3
戸坂の現状認識の鋭さに舌を巻く。ソシュール言及からも明白だが、二十世紀の文献学、論理学、解釈学、現象学の諸特徴は矮小だが戦中に現れており、構造主義はそのマルクス主義化した姿でしかないのだ。文学主義、人間主義を徹底的に批判する戸坂が取り得る、文学的立場は<翻訳>だ。このマルクス<交通>概念にも似通った<翻訳>は、ただ単に普遍的論理構造の「公式」であるだけでなく、外国土であるところの日本の生産様式に従った形でモダン・土俗の二元論に弁証法的に付け加えられる。戸坂にとって生産様式は明確に意味生成なのだ。2013/07/08